Macintosh Developer Online (MDOnline)


2002年3月27日発行号 - DevToolsは2002/4版のリリースを予定



今日もモバイル中でして、オペラシティの2階にあるTRUNKで記事を仕上げています。ものすごい雨だったけどすっかりあがっていますね。このところ、我が家ではDVビデオを買うか買うまいか、議論が白熱しているのですが、お互い「たいして使わないけど欲しい」という点では一致しています。後は決心だけなんですが、うちは子供がないので被写体がないのです。ネコでもいいのですが、ネコってあんまり動かないんですよね〜。オッサンとオバハンを撮影しあってもキモいと思われるだけだし(笑)。まあ、だけど、「ピアノの発表会で…」という理屈がなんとなくイケているかと思うし、iMacを買ってDVD作るのを見てしまうともう結論は出ているようなものなんですが…。もっともどこのビデオを買おうかという話をある集まりでしていると、ソニーは周辺機器は多いけど、パナソニックは少ないから気をつけるようにとアドバイスをくれた人がいました。なるほど、ソニーを買う人は、周辺機器もソニーにしたいから、ソニーの三脚とかバッグやケーブルを買うわけですね。だから、同じ三脚でもいろんなサイズやタイプを揃えないと行けない。だけど、パナソニックを買う人は、きっと他のメーカーの三脚でいいんでしょうね。こういったところでの消費者行動って製品スペックに影響するという感じでしょうか。もっとも、その意味ではAppleはソニー街道をばく進中というところでしょうけど、完全に自社製品で固めているわけではありません。「固める」ことの不利がある点はコンピュータの市場の特殊性というか家電との違いかもしれません。

先月にAppleScript UGで行ったセミナーのビデオを販売します。ビデオと言っても、movファイルの入ったCD-Rです。もちろん、WindowsでもQuickTimeを入れれば見ることができるはずです。ジャケットは作ったのですが、盤面デザインまではしていませんので、ご了承ください。それと、これから焼くことになるので、へたをするとすぐには送付できないかもしれませんが、そんなに購入が殺到するとも思えないです(笑)。以下の要領でお願いします。ほんとうは購読費の返還と同じにアナウンスしようとしたのですが、諸事情で今となりました。すみませんです。私のところでは、AppleScript Studioを使ったプログラミングのデモがありますが、内容的にはMDOnlineでも記事にしたものです。

==================================販売
AppleScript Studioなどのセミナービデオ(AppleScript Users Group)
 http://www.applescript.jp/
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2002年2月8日にAppleScript Users Groupが開催したセミナーのビデオを販売します。Macworld ExpoではUGブースで1000円で販売していました。MDOnlineの読者のみなさんにも、同じ値段で販売します。CD-Rが2枚で、それぞれ新居雅行による「Mac OS X開発環境とAppleScript」、ビューポイント情報科学研究所の代表取締役である荒木純夫氏による「AppleScriptとDTP関連のJIS」が収録されています(都合により市川せうぞー氏の講演は収録されていません)。以下の要領でお申し込みください。期限は特に切りませんが、あまりに期間が空いた場合には、一度お問い合わせ下さい。


(新居雅行 msyk@mdonline.jp


Mac OS XのDeveloper Tools、April 2002版のリリースを予定か

AppleScriptStudioのドキュメントによると、2002年4月には、Developer Toolsの新版「April 2002 Mac OS X Developer Tools CD」がリリースされることになっているようだ。AppleScript Studio System Requirementsの項目にあるAppleScript Studio Versionのページにその解説がある。AppleScript StudioもVer.1.1へとアップデートする。

関連リンク:Building Applications With AppleScript Studio
カテゴリ:ProjectBuilder/Interface Builder


【MacWIRE配信予定】倉橋浩一、じつはWebObjectsで飯食ってます》Expo終わって日が暮れて....

まず最初に、連絡事項。5.1 updaate 1がリリースされました。NSTimestampFormatterのバグなどはfixされたようですが、Deployment時にDirectToWebで問題が起きるようです。ご注意ください。

さて。

というわけで、倉橋屋じゃなかった、有限会社テクニカル・ピットのWOブースにおいでくださいましてありがとうございました。『倉橋屋』を探して会場をさまよってしまったというTさん、すみません。

いやー、実際、大変なんす。本音をいえば、うちの会社の場合、空気の悪いビッグサイトでじわじわ汗かいているよりも、ほぼ1年先の分まで溜まりに溜まった受託開発の仕事をしている方が儲かります。出展料払って、仕事休んで、それで原価割れ(コピー代と製本代と送料....価格設定を間違えました)した商品を売っているわけですから。

でも、あそこに出展して、「儲けたるでえ、ぐえへへへ」と思っているのは何社ぐらいあるんでしょう。もちろん宣伝とか商売のためにやっているわけですけど、それだけでない何かがあるからみんな寝不足でフラフラになりつつ有明まで来てるんじゃないでしょうか。Macworldには何処かそういう空気があります。ことに『出展者』バッチをつけたことのある方ならこの空気をわかっていただけると思います。いいんだ、わかる人にだけ、わかってもらえれば。

それにしても、いくらお祭り好きとは言え大赤字、ビジネス的にはバカなことやってます。

なんせ、去年の幕張は悲惨だったんです。WebObjects関係者は知人が数人立ち寄ってくれたぐらいで、たまにお客さんが覗いてくれたと思ったら「WebObjectsって、何ですか?」って聞かれたりして。何しろああた、2000枚作ったパンフレットが1850枚余ったんすから。

今年は日本市場で不遇な扱いを受けていたOpenBaseが迷走をやめてOpenBase Japanとして活動開始するとあって、同代表の河本公夫氏にもブース運営を手伝ってもらえることになりました。OpenBaseのためにも、ヘタなことはできません。ブースの向かいは、ライバル?のFrontBaseですしね。

さて、今回。天候には恵まれませんでしたが、たくさんの人がブースに来てWebObjectsで盛り上がってくれました。すでに導入している方同士で商談したり情報交換したり、私のセミナーを見てWebObjectsを買うことに決めたという方が来てくださったり。去年のこともあって「どうせうちの商品なんて売れないよな、へっ」と、斜にかまえていたら、あっさり完売しちゃいましたし。時間帯によっては閑散としていたのですが、ある程度『WebObjectsの社交場』としての役割は果たせたのではないかと思ってます。まぁ、でも、やっぱり「WebObjectsって何ですか?」という質問には遭遇しましたけども(笑)。

毎年言ってますが、来年こそはもっとしっかり準備して、もっと面白いブースにしたいと思います。みなさん、お疲れさまでした。そして、来年もよろしくお願いします。

最後に、三日間、ダンナの道楽に付き合ってくれた最愛の妻、郁に感謝。ありがと。

∽∽∽∽∽∽∽この項、以上∽∽∽∽∽∽∽[倉橋浩一/テクニカル・ピット]∽∽∽∽∽∽∽

関連リンク:WebObjectsのページ
カテゴリ:倉橋浩一、じつはWebObjectsで飯食っています, イベント


【MacWIRE配信予定】メールで送られた画像などをもとにシール等で使えるPDFをレイアウトするサービス

mailOndemand(メールオンデマンド)は、電子メールで写真などを送付することで、自動的に写真シールなどを作成し、その結果のPDFファイルを送り返すというサービスを開始した。現在のところは無料で利用できる。ハガキサイズの用紙に16面の写真を印刷した「写真シール」、Lサイズの写真カードに写真を1枚配置した「写真カード」、そして名前のテキストをもとにした80面などのレイアウトの「名前シール」の作成が可能だ。名前シールでは配色などを、メールの件名に指定する文字列で、選択することができる。メールを送ると数分で作成されたPDFが返送されてくるので、自分のプリンタで印刷をすればOKだ。写真撮影機能付きの携帯電話から写真を送付するといった使い方もできるが、そのときはCcでパソコンで受信できるメールアドレスを設定しておけばよい。
開発はAppleScriptによるDTPの書籍等で知られるかまたゆきお氏だ。サーバはMac OSで稼働しており、Eudoraでメールを受けてファイルメーカーProで記録を残し、Photoshopで画像加工を行い、InDesignでレイアウト、MacPerlでPSファイル加工をし、DistillerでPDFを作成している。これらのアプリケーションをAppleScriptで連係をして利用して、システムが稼働している。現在は試用期間として無償で利用できるが、印刷サービスの有料化も含めて、今後にはサービスメニューを増加させることも検討しているという。

関連リンク:mailOndemand
カテゴリ:サービス


Mac OS Xの実行ファイルであるMach-Oに関する解説文書が公開

開発者向けのドキュメントとして「Mach-O Runtime Architecture」がPDFで公開された。Mach-Oは、Mac OS Xの実行ファイル形式の1つであり、コアOSであるMachの実行ファイルの形式である。Project Builderでは背後でMach-O形式のバイナリを含むパッケージを作ってしまうのであるが、そうしたコンパイルやリンクの仕組み、アプリケーションの起動の仕組みなども解説されている。また、PowerPC上での実行オブジェクトの内部構造などについても解説されている。ローレベルとなるがMach-Oファイルに対するさまざまなAPIの解説も含まれている。単にアプリケーションをProject Builderでビルドする上ではあまり意識する必要はない部分の話題ではあるが、Mac OS Xでのプログラム実行に関する詳細な内容を知りたい人にとっては参考になる文書だろう。

関連リンク:Mach-O Runtime Architecture (pdf)
カテゴリ:アップルからの開発資料, Mac OS X


Project BuilderでAPIドキュメントを参照する方法を解説したムービー

Project BuilderでAPIドキュメントを参照する方法を、なんとムービーで紹介するページが公開されている。もちろん、実際の画面の画像を見ることができるので、極めて分かりやすい。1分程度なので、ぜひとも参照しておこう。
1つの方法は、ソース中の単語をoption+クリックすることで、その単語の解説ページを検索して即座に表示するという方法があるということだ。また、FindやClassesのタブのページからも、特定のクラスの項目を参照することができる点などが紹介されている。

関連リンク:Project Builder API Documentation Access
カテゴリ:ProjectBuilder/Interface Builder


MDOnlineの最初から最後まで〜(2)創刊、そして我慢の半年

MJRを続けてみて、意外なことにメールで何か送られてくるということが、それなりに満足感が高いことが分かった。こちらとしては、Webのコンテンツを必死に作っているのだけど、それを抜粋したもののメールや、MacとJavaにからめたニュースのメールをおくっていたのだけど、むしろ、そちらの方が「読んでいますよ」みたいな話を聞くようになっていたのである。もっとも、実用的な意味ではWebにアクセスしたり、ダウンロードしたPDFを見ていていただけるのだろうけど、媒体というのもの、まずは存在感というのもが非常に重要である。ましてや有償コンテンツだけに、「買ったものがここにある」という感触を強く持ってもらわないといけない。メールの強さを認識したこともあって、MDOnlineは「メール配信がある」ということをまずは中心に据えた。
MDOnlineは1999年9月20日に、4本の記事の創刊号からスタートした。当初はQQQシステムと郵便振替の入金であるが、そのシステムは実は先立つJava Security Report(現在はバガボンドで販売)のシステムを持ってきたもので、それにデータベースを使ったWebによる記事保存配信システムを追加したものである。記事は読者の方ならWebで参照できるが、認証をかけて読者しか見えなくしてある。ほどなく、サンプル版やあるいは最新の記事だけを、一般サイトから参照できるようにするなど、体裁を整えることになる。価格はいろいろ検討することもあったのだが、最終的には8000円/年とした。

メールの存在感は、日々やってくるところにある。創刊直後、どの程度の頻度が可能かを探ってみたが、実は創刊当初は週に3通だったのである。ごく一部の方は思い出していただけるかもしれないが、実際に創刊直後から日刊になった。1つはネタがそれだけあるといえばあるからだ。MDOnlineは開発やシステムに関する情報をお届けするということが基本コンセプトであるが、初期の頃は、ごく一部の人にしか必要ないような情報でも、1行でもいいから記事にするということがあった。そうしたコアな情報は一般メディアでは埋もれがちである。そこに市場性を見い出したいこともあったからだ。だから、いきなり毎日となった。そして、創刊した月の末には「日刊宣言」をすることになった。

MDOnlineっていったいどれくらい売れているのだろうかと思われるだろう。その前に市場がどの程度かをいろいろな人に話をしながら詰めてみた。Macデベロッパーの市場がイコールMDOnlineの市場にはならない。要は雑誌を買わない人もいるのと同じで、大雑把にはデベロッパーの半分程度しか媒体市場にはならないと考える(もちろん、もっとセグメンテーションして考えた)。昔ではあるが、Developer Journalの売り上げ数もある程度は知っていた。加えて、デベロッパーでない人も読んでくれると見越して、基本市場規模は1000と考えた。つまり、1000程度の財布(笑)が買おうかと考えてくれると想定した。もし、年間1万円の購読料なら年間で1000万円の売り上げがある。ベンチャーキャピタルさんだとつまらんビジネスとしか思ってくれないだろうけど、いちライターとしては魅力的な収入だ。目指すポイントとしてもバブルな数字でもなく、まっとうなお仕事といえるだろう。
一方、MDOnlineのビジネスを遂行するにあたって、会社というか上司からは、好きなようにやって良しという御墨付きがあった。ただし、予算はかけられないという制約はあった。たとえば、アシスタントをやとったり、Oracleを買う(笑)ってことはできない状況であった。結果的に、編集から販売から読者管理から売り込みから執筆から、全部一人でやれば、会社としてはOKだったので、やってしまうしかないと考えたわけである。そのため、今までのノウハウをもとに、ほとんど手のかからない読者管理システムを作っておき、Webで記事を登録してあとはボタン1つで配信ができるほどのものを創刊までになんとか作り上げ、走らせながら微調整をした。後にいろいろ不具合は出たし、サーバを移動させたかったのだけど、結果的にそのシステムを最後まで使うことにもなった。
いずれにしても、売り上げ見込みと、会社事情的なところで、ひとりでやるという選択肢しか残らなかったのである。もちろん、私が病気で倒れるというリスクはあるのだけど、それは仕方ない、そういう場合は購読料を返還するしかないなどは、最初の時点で想定していたものである。

だけど、1000の読者が購入してくれるかといえばそれは甘い。だけど、1000を目指すのは悪くない話だと思う。だが、いきなりWebページを見にきてくれるとも限らない。MJRでもいくつかの媒体に配信したけど、そうしたメジャーな媒体に掲載されないとやはり人目には触れないのである。そこで、通信社的な業務として、記事を別の媒体に供給し、さらに配信料をいただいて、そちらも収入源にしようとした。MDOnlineとしては一石二鳥ではあるが、配信をすることで、直接購読する読者は当然ながら減少する。その辺りのバランスを考えて、目標は3つの媒体にフルに配信することを考えた。そこで、読者減は600程度と考えてのおおまかな価格設定をした。
実は創刊前に、MacWIREに対しては全記事を配信することが決まっていた。そして、MACLIFE誌とascii24には一部の記事を配信することも決まっていた。目標には達成していないけど、しばらくはがんばって配信先を見つけるつもりだった。その後にPOWERBOOK ARMYへの配信も行うことになる。
もちろん、思った通りに読者は増えなかったけど、やはり1年は我慢する必要があると考えた。少なくとも半年は読者数はボロボロでも仕方ないだろうけど、1年が経過して光明が見えるかどうかというのがポイントだと考えた。実際、2000年のExpoで出展したけど、ほとんど読者数がふえないどころか最低を記録したりとか、ちょっとへこみそうだったけど、「最初は仕方ない」とモチベーションだけは高かったのである。創刊後半年、2000年3月末で、購読者数は100を少しこえた。最初の月にそれなりに売れたけど、その後は10台だったのである。だけど、これでもMJRよりもペースは良かった。どちらかといえば楽観できる数字だと今でも思う。

‥‥‥‥‥‥‥この項、続く‥‥‥‥‥‥‥[新居雅行]‥‥‥‥‥‥‥

カテゴリ:業界動向


MDOnlineの最初から最後まで〜(3)ピークから衰退まで

こうして1年があっという間に経過したが、MDOnlineのもくろみとしては、Mac OS Xへの移行というイベントに乗るということであった。創刊時は、Mac OS 9がリリースされるなど、ユーザ環境はMac OSだったけど、開発者環境も実はMac OSだったと言っても良い。もちろん、NDAベースでのRhapsodyの配付や、Mac OS X Server Ver.1.x系列もあったけど、技術的そしてビジネス的な意味で、「ほんとうにXになるのか」というのが懐疑的な時期であった。それに、NeXT向けに開発されていたソフトウエアならまだしも、Mac OS向けに開発していたソフトウエアを持っていくということも事実上不可能だったといえるだろう。
だが、Mac OS Xに移行するときはいつかは必ずやってくるとしたら、最初にコミットした媒体が強くないはずはないと思った。また、99年の段階で、もはや空虚だった(つまり強固な市場を生まなかった)パソコンブームのまっただ中であるが、Mac OS Xの仕様を考えるにつけて、「もはやど素人がパソコンを使う時代はこなくなる」という読みもあった。ある程度の知識がある人たちが数多くいるという市場にシフトすることは予想できていた。そこに来て、プラットフォームが入れ替わってしまうのである。開発市場が活性化するし、WebObjectsをはじめとしてSI業者も活発化することを予想しての「開発者向け情報提供」という方向性があったのだ。だから、MDOnlineの売り上げがたいしたことがなかった初期の頃でも、「Xが出ればなんとかなるさ」という読みもあった。
そして、2000年10月の懐かしいタカシマヤでの行列がやってくる。この月、MDOnlineの一般売りの最高記録数である月刊59人をクリアした。Public Betaの到来が追い風になったのである。まったく狙いとおりだ。2000年末で、200くらいの一般購読者数を得られるほどになった。この頃から、ヘリオグラフ顧客への販売をはじめる。

ただ、そうなってうまくいくかどうかは微妙なところだ。創刊1年のあたりで、やはりより収益を重視した結果、MacWIREへオンライン独占配信を行う代わりに、費用をより多くもらうことで、収入のアップを目指した。他の有力なサイトへの売り込みをかけてはいたのだが、やっぱりページビューで評価する人たちに、Macで開発者というコアな世界は受け入れられてもらえなかった。つまり、複数チャネルへの配信ビジネスをあきらめたのである。一方で、値上げを受け入れてもらえたこともあって、MacWIRE一本へとオンラインは絞り込んだ。しかしながら、すべての記事がMacWIREに掲載されることになる。もちろん、合意の上であるが、やはり一般売りには影響があると考えた。ところが、もちろん、Public Beta時のピークは超えられないにしても、明らかにいままでよりも売れている。月に10台だったのが、20台くらいに入ったりするあたりだ。ちょっとしたことだが減っていないことは大きいのである。

そして、2001年3月にはMac OS X 10.0がリリースされる。なんだかんだとあったけど、ここでもやっぱり一般購読者がのびている。また、2001年4月から(実際には5月からだけど)はMOSA会員の購読も開始した。MacWIREとMOSAからの安定収入がある上に、一般読者からの売り上げがあるわけで、収入的にも安定しはじめた時期ではある。ただ、それで安心してはいけないので、コンテンツの強化のために、私以外の筆者の記事を増やすことを考えた。そこで、原資が必要になる。いろいろな交渉の結果、それもあるメーカーが(ってちょっとわざとらしいか〜笑)捻出してくれることになった。
ところがである。テロリストの操縦する飛行機が世界貿易センタービルに突っ込んだ…。みんなはテレビに釘付けになったそうだけど、私は見てはいられなかった。これがすべてを予見していたのである。もちろん、そのときに自分の身にまで降り掛かるとは思ってもみなかったけど、それは写し出された自分の姿を見たくなかったのかもしれない。さらに悪いことに、その直後に腹痛で寝込んでしまった。さんざん検査をしたあげくに大腸菌にやられていただけだったようだけど、今思うと昔から過敏性大腸炎気味だったのが、その症状が強く出たのか、なかなか直らなかった。いずれにしても、1か月近く寝込むことになり、いろいろとご迷惑をおかけしてしまった。
ところが、病気から復帰したものの、支援の資金が止まっている。さらに、MacWIREへの配信もできなくなることになってしまった。その頃には倉橋屋さん経由の販売も始まったけど、安定収入源が一気に減ったのである。それぞれの会社の事情もあるのは分かるけど、結果的にはテロによる経済の冷え込みというのが引き金になっている点は否定できない事実だ。テロには屈しないと強い意気込みを見せながらも、水面下のフローでは一時的にしろ大きく揺るがされてしまったのである。もちろん、黙っていたわけではないが、その段階で、MacWIREに絞り込んでしまっていたこともあるし、いったん決まってしまったことはなかなか覆すことができない。かなり悲壮感あったので、あちらこちらにいろいろお願いをして回ってみたけど、結果的にうまくいかない状態だった。もし、そこであきらめていたら、2001年末で廃刊にしていただろう。だけど、年末に向かって体調は非常に良くなり、JavaOneで受賞したというモチベーションの高揚もあり(笑)、もうひと頑張りしようと思った。
残るは購読者からの収入を増やすことしか残されていない。もっとも、MJRをやるきっかけになった本来のテーマが突き付けられたに過ぎないと開き直った。MacWIREへのフル配信がなくなった2001年12月から、当然ながら購買数が増えた。12月1月と、数でいえば40台の売り上げがあったのである。けっして駄目な数字ではない。ただ、これが特需的な意味合いもあるのだけど、まだ芽があると考えた。ここでやめるのはもったいない。MacWIREへの配信をしているときには、やはり、一般ニュースメディアへの記事ということをやっぱり意識した。あちらでもヒットをそれなりにかせがないといけないからだ。だが、POWERBOOK ARMYへの配信が復帰したとはいえ、大口配信がなくなったことから、読者を稼ぐ戦略をたてた。それが1か月のお試し購読と、コンテンツの強化である。解説記事をとにかく増やし、また、PDF化など、とにかく買う価値をなんとか増やす作戦に出た。12月から…だいたいWWDCまでその路線を突っ走ってみてチェックする予定だったのである。

だが、2月末にいきなりローカスを解雇となった。ただ、2月上旬から社内はあわただしかったのだけど、その後「大丈夫」という説明を聞いていたので、ちょっとは安心していたので、むしろかなりいきなりだった。もっとも、2001年後半での落ち込み時に、危機のときのマインドトレーニングはしていたので、対応は素早く行った。通告を受けてすぐに廃刊を決心した。解雇を告げられる電話で廃刊費用の捻出については約束を取り付け、その日のうちに計算する。後でちょっとミスもあったのだけど、大きな桁では違いはないところまで持ち込んだので、翌日会社で契約などを作って12年半勤めた会社を後にした。
個人で続けないのかという声もあるのだけど、少しは考えたものの、やはり媒体というものは出版社があってそこで媒体として存在していないことには、どこかでバランスが崩れてしまう。ずっと私一人でやっていたとは言え、ローカスという企業にいるから、経理部というシステムを使うことができ、さまざまなオンライン決済会社と契約ができる。さらに支援という名目でお金をもらえたとしても、それは会社に対してであって、編集部として独立しているというスタンスは貫ける。また、給料という生活を安定化させるベースがあるから、毎日、ニュース記事を書けるし、特定のテーマにのめって調査することもできる。個人でやるには、たとえさまざまな支援があるとしても、無理が出る。また、入金は運転資金となって、たとえば「廃刊費用」なんてものも出ないだろう。これでが正常なビジネスとは言えない。
他の誰にも作れないコンテンツを目指して作り込みをしていた結果、会社という基盤をなくした自分も作れないコンテンツになってしまったのである。とにもかくにも、「出版」である限りはビジネスとして成功しなければならない。もちろん、MDOnline末期は対会社的にも赤字だったけど、1つ負け惜しみを言わせてもらえば、MDOnlineが赤字だから解雇されたのではないというところが、自分としては救いでもあるし、逆に非常に残念なところでもある。

‥‥‥‥‥‥‥この項、続く‥‥‥‥‥‥‥[新居雅行]‥‥‥‥‥‥‥

カテゴリ:業界動向