MJRを続けてみて、意外なことにメールで何か送られてくるということが、それなりに満足感が高いことが分かった。こちらとしては、Webのコンテンツを必死に作っているのだけど、それを抜粋したもののメールや、MacとJavaにからめたニュースのメールをおくっていたのだけど、むしろ、そちらの方が「読んでいますよ」みたいな話を聞くようになっていたのである。もっとも、実用的な意味ではWebにアクセスしたり、ダウンロードしたPDFを見ていていただけるのだろうけど、媒体というのもの、まずは存在感というのもが非常に重要である。ましてや有償コンテンツだけに、「買ったものがここにある」という感触を強く持ってもらわないといけない。メールの強さを認識したこともあって、MDOnlineは「メール配信がある」ということをまずは中心に据えた。 MDOnlineは1999年9月20日に、4本の記事の創刊号からスタートした。当初はQQQシステムと郵便振替の入金であるが、そのシステムは実は先立つJava Security Report(現在はバガボンドで販売)のシステムを持ってきたもので、それにデータベースを使ったWebによる記事保存配信システムを追加したものである。記事は読者の方ならWebで参照できるが、認証をかけて読者しか見えなくしてある。ほどなく、サンプル版やあるいは最新の記事だけを、一般サイトから参照できるようにするなど、体裁を整えることになる。価格はいろいろ検討することもあったのだが、最終的には8000円/年とした。
メールの存在感は、日々やってくるところにある。創刊直後、どの程度の頻度が可能かを探ってみたが、実は創刊当初は週に3通だったのである。ごく一部の方は思い出していただけるかもしれないが、実際に創刊直後から日刊になった。1つはネタがそれだけあるといえばあるからだ。MDOnlineは開発やシステムに関する情報をお届けするということが基本コンセプトであるが、初期の頃は、ごく一部の人にしか必要ないような情報でも、1行でもいいから記事にするということがあった。そうしたコアな情報は一般メディアでは埋もれがちである。そこに市場性を見い出したいこともあったからだ。だから、いきなり毎日となった。そして、創刊した月の末には「日刊宣言」をすることになった。
MDOnlineっていったいどれくらい売れているのだろうかと思われるだろう。その前に市場がどの程度かをいろいろな人に話をしながら詰めてみた。Macデベロッパーの市場がイコールMDOnlineの市場にはならない。要は雑誌を買わない人もいるのと同じで、大雑把にはデベロッパーの半分程度しか媒体市場にはならないと考える(もちろん、もっとセグメンテーションして考えた)。昔ではあるが、Developer Journalの売り上げ数もある程度は知っていた。加えて、デベロッパーでない人も読んでくれると見越して、基本市場規模は1000と考えた。つまり、1000程度の財布(笑)が買おうかと考えてくれると想定した。もし、年間1万円の購読料なら年間で1000万円の売り上げがある。ベンチャーキャピタルさんだとつまらんビジネスとしか思ってくれないだろうけど、いちライターとしては魅力的な収入だ。目指すポイントとしてもバブルな数字でもなく、まっとうなお仕事といえるだろう。 一方、MDOnlineのビジネスを遂行するにあたって、会社というか上司からは、好きなようにやって良しという御墨付きがあった。ただし、予算はかけられないという制約はあった。たとえば、アシスタントをやとったり、Oracleを買う(笑)ってことはできない状況であった。結果的に、編集から販売から読者管理から売り込みから執筆から、全部一人でやれば、会社としてはOKだったので、やってしまうしかないと考えたわけである。そのため、今までのノウハウをもとに、ほとんど手のかからない読者管理システムを作っておき、Webで記事を登録してあとはボタン1つで配信ができるほどのものを創刊までになんとか作り上げ、走らせながら微調整をした。後にいろいろ不具合は出たし、サーバを移動させたかったのだけど、結果的にそのシステムを最後まで使うことにもなった。 いずれにしても、売り上げ見込みと、会社事情的なところで、ひとりでやるという選択肢しか残らなかったのである。もちろん、私が病気で倒れるというリスクはあるのだけど、それは仕方ない、そういう場合は購読料を返還するしかないなどは、最初の時点で想定していたものである。
だけど、1000の読者が購入してくれるかといえばそれは甘い。だけど、1000を目指すのは悪くない話だと思う。だが、いきなりWebページを見にきてくれるとも限らない。MJRでもいくつかの媒体に配信したけど、そうしたメジャーな媒体に掲載されないとやはり人目には触れないのである。そこで、通信社的な業務として、記事を別の媒体に供給し、さらに配信料をいただいて、そちらも収入源にしようとした。MDOnlineとしては一石二鳥ではあるが、配信をすることで、直接購読する読者は当然ながら減少する。その辺りのバランスを考えて、目標は3つの媒体にフルに配信することを考えた。そこで、読者減は600程度と考えてのおおまかな価格設定をした。 実は創刊前に、MacWIREに対しては全記事を配信することが決まっていた。そして、MACLIFE誌とascii24には一部の記事を配信することも決まっていた。目標には達成していないけど、しばらくはがんばって配信先を見つけるつもりだった。その後にPOWERBOOK ARMYへの配信も行うことになる。 もちろん、思った通りに読者は増えなかったけど、やはり1年は我慢する必要があると考えた。少なくとも半年は読者数はボロボロでも仕方ないだろうけど、1年が経過して光明が見えるかどうかというのがポイントだと考えた。実際、2000年のExpoで出展したけど、ほとんど読者数がふえないどころか最低を記録したりとか、ちょっとへこみそうだったけど、「最初は仕方ない」とモチベーションだけは高かったのである。創刊後半年、2000年3月末で、購読者数は100を少しこえた。最初の月にそれなりに売れたけど、その後は10台だったのである。だけど、これでもMJRよりもペースは良かった。どちらかといえば楽観できる数字だと今でも思う。
‥‥‥‥‥‥‥この項、続く‥‥‥‥‥‥‥[新居雅行]‥‥‥‥‥‥‥ |