Macintosh Developer Online (MDOnline)


2002年3月30日発行号 - The End...



みなさん、いろいろお世話になりました。これが最後の発行号です。この後、しばらくはサーバはそのままになりますが、遠からず、これまでの全部の記事をダウンロードできるようにするつもりです。今の雰囲気だと、近々、cserver.locus.co.jpの方のサーバは利用できなくなるかもしれませんので、もちろん、それまでにダウンロードできるようにします。
4月末には、倉橋さんと共著でMDOnlineで執筆したWebObjects関連の原稿をまとめた書籍を広文社さんから出版しますので、また、出版したときなどにもお知らせしたいと思います。あわせて、MDOnline読者のみなさんに役に立ちそうな情報は折に触れてメールさせていただきます。なお、mdo-aとmdo-dのメーリングリストは、近々落としますので、今後の連絡は、私あてに直接いただければと思います。もし、通知メールアドレスを変更したいような場合や通知が不要な場合は、すみませんが、私あてにいただけますでしょうか。
ところで、Knowledge Baseのデータが変わったため、以前に作った最新情報ページがうまく見れなくなっています。本来なら必死になおすところですが、もはや廃刊ですからこのままにします。KBaseの最新記事は#75185の記事を見るのがいいかと思います。そういえば、WebMoneyさんからはCGIの入ったフロッピーとマニュアルを返却するように連絡がありました。こういう状況では、そういうのって、やっぱり「仕打ち」に思えてしまうところです。なかなか、衰退する会社には世間は厳しいものです。

桜が満開なときに華々しくMDOnlineも散っていくかと思ったら、桜もすっかり散って葉桜になってしまっています。季節に変化があるように、ビジネスも、そして人の境遇も生活も変化の中にあります。その変化をアクティブにとらえて、前進するしかないでしょう。新居家からの今年の年賀状には「前にススム年」と書きましたが、それはまさに自分に言い聞かせる言葉でもあります。また、どこかでお会いするときまで、お元気で!!
(新居雅行 msyk@mdonline.jp


【MacWIRE配信予定】森下克徳の崖っぷちからWebObjects》第23回〜ひとまず区切りだ…うん

さて、このところ私としては珍しく、横道にそれないでまじめに本題に切り込んできていたので、今回はちょっと脱線から始まるのであった。

私はよく、FM(あっファイルメーカーじゃなくラジオのね。>某方面の方々(^_^;;)を聞きながら過ごすことが多い。昨年何度かお話したIT講習会への道中も、おんぼろ車にFMを流しながら走ったものだ。FMというとお上品な感じがするかも知れないけど、関西のFMはちょっと濃いよぉ〜。一昔前の元気のよかったAMの深夜放送ののりに近いけどFMなんだよねっていう感じの世界なのだ。なんたって、朝の5時から朝レン(アサレン5・FM OSAKA)でしごかれるんだから…。で、午前中は、クリスマスシーズンになぜか「恐い歌特集」なんてして、「ゲゲゲの鬼太郎」とか山崎ハコの「恨みます」とか流していたっちゅう「ブレックファーストクラブ」(FM OSAKA)を聞いて、昼からは「JAC851」(FM OSAKA)を聞いて、それが終わったら「THE REQUEST SQUARE」(α-STATION)というのが定番なのであった。

◇FM OSAKA
 http://fmosaka.net/
◇アサレン5
 http://fmosaka.net/cf_asaren.html
◇ブレックファーストクラブ
 http://fmosaka.net/cf_bfc.html
◇JAC851
 http://fmosaka.net/cf_jac.html
◇α-STATION
 http://fm-kyoto.jp/
◇THE REQUEST SQUARE
 http://fm-kyoto.jp/ttframe.html

ところでその聞いていた「ブレックファーストクラブ」なんだけど、3月いっぱいで9年の歴史に幕を引いた。折しも今、京都は賀茂街道の桜が満開でただでさえ門出の気分をかもしているのに、最後の放送はそりゃもう感慨に浸っちゃったねえ…。単なる一リスナーなんだけどね。

そちろんそこには、私も一原稿書きとして座を汚してきたMDOnlineが幕を引くと言う自らの境遇もあってのことで、なんつうか、ほんまに何か一つ卒業を迎えたなと言う実感がじわじわと、こみあげてくるのである。

この連載は、専業のWO屋ではないサーバ稼業にとって、WOのもたらすものは何かを確かめて行くつもりで書いてきた。さらに、サーバ稼業をなり立たすために、WOだけにこだわらないスタンスで、むしろWOの向こう側にあるデータベースシステムから見たネット世界を俯瞰する予定であった。

ところで、こんな事件があったのはご存じだろうか。大学の教授が、学生600人分の成績データをインターネット上で公開してしまったと言うものだ。

◇毎日新聞 学生の成績を個人サイトで公開
 http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200203/16/20020316k0000e040045001c.html

教授は、学生からの成績の問い合わせが多いために、それに対処するためとして学生に事前に告知した上で公開していたと言う。これに対してプライバシーの観点から批判が寄せられ、公開は打ち切られたのだ。

このできごとはたしかに問題はあろうが、プライバシーはひとまずおいて考えれば、この教授はコンピュータやネットの利用法として、実に素直なある意味真っ当な使い方を実践したとは言えないだろうか。本来コンピュータと言うのは、楽をするための道具である。私の場合、プログラムを組みはじめたのがMacを自動化させるための手立てとしてのAppleScriptからだったのでよけいにそう思うのかも知れないけど、やっぱり自動処理こそが単なるワープロとパソコンとの違いだと思う。そうするとこの教授は、600人もの学生からランダムに発せられる成績問い合わせに対して、パソコンとネットを経由していつでも自分の仕事を中断することなしに対応できる手立てを作ったまでのことで、非常にすばらしいナイスアイデアである。ところが一点、問い合わせ側が自分のものだけでなくだれのものでも見れてしまう、さらに第三者までもが閲覧できる、というところに問題があった。もしも、問い合わせ側が自分の成績のみを参照可能な作りになっていたら、問題とはならなかっただろうに…

そうするとほら、思い至っちゃうんやねえ。こんなところにこそ、WebObjectsの出番があるのではないだろうかって。

ほんの2年ほど前まで、高級自動車なみの値段がしたWebObjectsは今、個人でもちょっとやりくりすればなんとか手に入るものになっている。ということは上記のような、WOで飯をくっている人以外にも、活用の幅は確実に広がって行くと思う。

さて、そう言う人たちのためのこの連載。ひとまず、MDOnlineからお送りするのはこれが最後だ。この続きがどうなって行くのかまだ決まっていないが、私としても、どうにか形にして行きたいと思っている。

最後にいくつか。前回までの説明で、いくつかソフトウェアをインストールしたりしたが、環境の関係でネット接続はMac OS 9という方で、tar.gzなソースファイルをダウンロード後、Mac OS 9側で展開してしまった方がいらしたようだ。この場合必要な情報が失われてしまい、Mac OS Xに起動しなおしたとしてもconfigureなどができなくなってしまう。Mac OS 9側でダウンロードするところまでは問題ないが、解凍せずにMac OS X側で展開しよう。そうすれば問題なくconfigureできるはずだ。

前回の番外編で紹介したWebDAVのソリューションの件。じつはUTF-8にはバージョンがあって、たとえばMS-Windowsとの間でやりとりすると、一部の文字で問題が起こったりする。これに対処するためのmod_davとmod_encodingに対する暫定的なパッチが、宮本久仁男氏によって提供されている。

 http://webdav.todo.gr.jp/download/experimental/mod_dav_encoding_patch_formacclient.tar.gz

問題が起こっている方は、ぜひこれをためしてバグレポートをしてほしい。

さあ、以上でひとまずおもいっきり中途半端ではあるが、区切りをつけさせていただく。2年間おつきあいいただいた読者のみなさん。どうもありがとう。また辛抱強く原稿につきあって下さった、MDOnlineの新居雅行さん、本当にありがとう。そしてごくろうさまでした。

∽∽∽∽∽∽∽この項、以上∽∽∽∽∽∽∽[森下克徳]∽∽∽∽∽∽∽

カテゴリ: 崖っぷちからWebObjects


Technote》ストリーム形式でApple Eventのディスクリプタなどを構築するAPI

Technical Notesに、AEStream*というAPIについての文書が掲載された。Apple Eventの基本データ形式であるディスクリプタの作成では、通常はディスクリプタをメモリブロックに構築するAPI等を使うが、メモリ管理などが必要になる。AEStream*、すなわちAEStreamで始まるいくつかのAPIを組み合わせれば、開いて、書き込んで、閉じるといった、ファイル入出力などのストリーム形式やり方で、ディスクリプタを構築できる。リストやレコードの作成もできるようになっている。このためのAPIについて、サンプルのソースプログラムを含めて詳細に解説が行われている。

関連リンク:TN2046: AEStream and Friends
カテゴリ:AppleScript, Technote


KBase》ディスク書き込み時の-36のエラーは容量不足

Mac OS XでCD-Rに書き込みを行うとき、多大なディスクスペースを利用する。そのスペースが足りない場合に、-36のアラートメッセージを出す。その場合は、大きなファイルをバックアップして削除するなどして、ディスクの空き容量を増やしてから書き込みを行ってみる。

関連リンク:Mac OS X: Unable to Burn CD (Alert Message -36)
カテゴリ:Knowledge Base(旧TIL), メディア制作


MDOnlineの最初から最後まで〜(6)負けを認めた上で「勝てなかったわけではない」-1

これがMDOnline最後の記事になる。これまでは、ビジネス面、あるいは出版の新しい形としての考察をしてきたが、最後はやや個人的な事情あるいは会社事情を説明しておきたいが、結論は明白で「ちゃんとした会社だからビジネスができる」ということに他ならない。知り合いの方々は御存じの通り、私は89年に日経BPを退社してローカスに入社したが、すでにそのときにはローカスは設立されており、共同設立者の藤森さんに引っ張られる形でローカスに入った。したがって、私自身はローカスの設立者でもなければ役員等の経営陣でもなく、単なるスタッフである。最初の頃はコンサルティングが中心だったが、書籍がうまく売れるようになってきたので、その後に書籍の執筆を中心にし、出勤するのもやめて在宅勤務となって仕事をしてきた。ただ、書籍についても陰りが出てきたので、オンラインへと舵を切ってみたのである。その間、スタッフはいろいろ変化はあったけど、藤森さんが上司で、結果的にここ何年かは好きなようにさせてくれた。コンサルティング部門でセクレタリやあるいは他のスタッフもいたけど、次第に少なくなり、最後には、藤森さんと私だけになる。オンライン出版をはじめた頃には、他にネットワーク管理や開発をしているエンジニア担当者もいたのだが、MDOnline出版直後の頃に上司との折り合いが悪くなり、結果的に解雇に近い形でやめさされている。今思うとそのころから崩壊は始まっていたのかもしれない。

オンライン出版を始めるにあたって、つまりはエンジニアのバックアップがあるから、コンテンツに集中できるという話がまとまりつつあった。だが、サーバーはたててくれるし、ソフトはインストールしてくれるけど、結局はそこまでだった。アプリケーションは自分で書かないとどうしようもなかったのである。だが、やると決めた以上仕方ないので、腹を括ってプログラムをしたのが現在のMDOnlineのシステムである。だけど、その直後にエンジニア担当はいなくなり、訳の分からない社内システムが残った。そして私がなぜかネットワーク管理者に任命されてしまった。引き継ぎでは、ルートのパスワードなどをインタビューしないといけないというどうしようもない、思い出したくもない状態だった。在宅勤務をしていてのネットワーク管理なんて限界があるが、それを承知でやってくれというので引き受けたのである。ただ、当時はLotus Notesを全面的に使っていたのだけど、そちらに関する知識はなかったので、藤森さんが人脈からパートタイム管理者を引っ張ってきてなんとかした。
そのころ、社内では自分にかかわること、関わらないことで、やたらとゴタゴタしたというのが思い出される。社内は一気に2倍に近い人員が増え、営業部やプロモーションのセクションができたりしていた。また、明白にバブルな売り上げ目標がかかげられるなど、ちょっとどうかしていると真剣に思った。ただ、私のいたコンサルティング部門は手は付けられないどころか逆に人員は減り、私は好きなことをさせてもらっていたので、文句の言い様がない。だけど、そうした拡大路線で結果的につまづいた。いくつかのビジネスでシンクロするように大きな赤字を出したのである。もちろん、普通はビジネスはうまくいたたりいかなかったりだから、いろいろなビジネスをやってバランスを取る。それらがまとまってうまくいかないのは偶然としてあるだろう…という説明だったが、今思うとそれは違うだろう。個別のビジネスの内容までは分からないけど、拡大路線でビジネスと体力のバランスがとれなくなっていたのが損失の原因と思われる。たまたまシンクロしたのではなく、それが会社の実態だったのだと思う。大きく損失を出すものの、社長らの努力で会社は存続できるようになったけど、大きくリストラをしなければならなかった。比較的新しく入った従業員は解雇となり、その他の従業員は賃金カットとなったが、希望退職的な勧めもされたという状況だ。そこで、もうやってられないと言って自分からやめた人も何人もいた。

他にも個人的には釈然としない事件(非公開…)もその直前にあったので、もし、MDOnlineをはじめていなかったら、間違いなくここで退社していただろう。MDOnlineを初めて半年も経過していないのに、ここでやめるのは惜しいので、ぐっとこらえることにしたのである。2000年問題で世間が弾けていた頃、ローカスは社内的にはじけていたというわけだ。
ところがその後に、上司である藤森さんの体調が悪くなる。2000年の9月に亡くなるわけだが、春先から入院をしており、詳細は語られなかったもののまず復帰は無理という空気があって、社内は落ち着く時間はなかった。しかも、40人体制の会社が20人を切るわけであるから、こちらの仕事であるネットワークも大幅に変化があった。スリムにするのに結果的に1年近くはかかったけど、折しも回線コストは桁で安くなり、アウトソーシングも可能なので、とにかくしのぐことができた。実は、Lotus Notesは藤森さんの肝煎りでもあったし、Notesでのビジネスでかせいでもいたから、社内的にはOKだったのだが、お守がいなくなると、経費のかかるネットワーク資源以外の何ものでもない。藤森さんが入院した後でのネットワーク管理者会議で、恐る恐るNotesの廃止を提案してみたのだが、あっさりと社長や幹部が賛同したので、そこから藤森さんの病状は確信できたということもある。
9月にあわただしく葬式などが進められ、社内的にはコンサルティング部門を廃止することを通告した。セクションは私一人になっており、MDOnlineをメインにがんばっていたので、コンサルティングの看板はたたむしかなかった。実は、Notesでの開発依頼などが、2か月に1度程度は舞い込んでいたのだけど、すべて断っていたような次第だったので、いっそのこと、看板を下ろすべきだろうと思った。会社の方も、これまで部長だった人たちが役員となり、新しい体制となった。MDOnlineは実は「情報メディア出版局」と名前を出していたけど、私自身は総務部の一員というのが社内的な位置付けとなったのである。ただ、総務部門の部長に対して報告や経費清算の依頼なんかは出していたけど、ビジネスは勝手にしていてください…的な位置付けになったのである。藤森さんが元気な頃は、いちおう管理はされていたけど、とうとう管理されていない立場となって、それでもローカス従業員でということで、MDOnlineを続けることになる。はっきり言ってこの立場はおいしい。
その直後、Public BetaやMac OS X正式版発売にともなう売り上げ増や、MacWIRE、MOSAといった安定収入が増加したことから、上向きだったので、社内でそうしたことをしていても問題にはならなかったのだと思う。2001年度上期までは、情報メディア出版局、つまり私については、MDOnline以外に雑誌や書籍、調査等の仕事もこなして黒字であった。
さらに社内的にはカットされていた賃金も戻り、一時期はうまくいっているようにも思えた。だが、どうやら社内的にはいろいろ無理があったのだと思う。折しも、私が寝込んだ2001年秋ごろ、今思えば、実は筆者の方々に支払い原稿料が支払われていないということが連絡があった。きちんと支払依頼書は書いているのに、支払いがされていない。実は事務作業の簡略化のため、毎月請求書を書いてもらわなくても原稿料が支払われるように覚書を取り交わしていた。そのため、請求書の紙がないことから支払いのチェックがうまくされなかった…と説明がなされたけど、やっぱり今思えば、すでに会社の歯車は狂っていたのだろう。「金払いが遅くなる」というのはつぶれる会社のチェック項目である。その後は支払いはされるようにはなったけど、こうした徴候を見のがさないというのが基本であることは、やっぱり後から気付くものである。
寝込んでいてた状態から動けるようになった後でもなかなか体調は完全復調はしなかったけど、なぜか、12月の中頃から急にシャンとしてきた。収入ががた落ちとなったMDOnlineだけど、もう一度がんばってみようと思った。実は寝込んでいた期間は、まったく消化していない有給休暇として処理してもらったので、そこは会社員の特権でもある。その意味で気持ち的にも楽観的でもあり、2002年からもあの手この手を考えていたのであるが…。

‥‥‥‥‥‥‥この項、続く‥‥‥‥‥‥‥[新居雅行]‥‥‥‥‥‥‥

カテゴリ:業界動向


MDOnlineの最初から最後まで〜(6)負けを認めた上で「勝てなかったわけではない」-2

2月の前半、日経産業新聞を見ると、主婦の友社が角川書店と提携を解消するという記事が目に入った。主婦友が解消されるのなら、ローカスはもっと前に解消されているだろうと思い、すぐさま社長らにメールをしたが、なかなか返事はもらえない状態だった。出勤している人にメールを打ってみると、やはりというか幹部は相当バタバタしているようなのである。このときに、いくつかの流れを想定してみたが、やはりどう考えてもMDOnlineをローカスで続けるのは無理となると思った。たとえば、角川と提携がなくなるなどした場合でも、他社の流通を使って出版は続けられるだろう。だけど、今まで通りにはいかなくなるので、会社としてはスリムにならざるを得ない。そうなると、リストラ対象になるのは目に見えているというのが1つの想定パターンだった。また、いきなり会社が終わってしまうという、前月のエクシードプレスパターンも考えたわけではないが、「まさか」という気持ちは強かった。
MDOnlineも、それまでに、つまり2001年中であるが、いろいろなところに追加や新規に支援をお願いしたものの、ことごとく取得に失敗をしたため、もはやすがるところはなく、読者に直接販売することしか道は残されていなかったのである。たとえば、個人となって出版するとなっても、支払い等での不利があるので、今までほどの読者数を獲得できるかというとやはり無理だろう。あとはどこかで出版させてもらうということになるが、赤字が分かっていてそんな出版をやるような酔狂なところは今時存在しないのは明白だ。つまり、ローカスに残る意外にMDOnlineの継続の手段はないことははっきりしていた。
果たして、その後には「なんとかなった」「大丈夫」という声も聞こえたものの、事態は急展開し、2月末に従業員全員解雇となった。MDOnlineで採算が取れていないからリストラされたというよりも、会社自体をリストラしたというわけだ。ローカスは役員4人だけの会社となって、今現在も存続している。おそらく、社長の性格からして、解散なんかにして負債をチャラにしてしまうような不義理を避けるためなのではないかと想像しているが、そうした話を聞く猶予もなく、会社を去ることになったのである。いずれにしても、解雇→廃刊のシナリオをスピーティかつ粛々とすすめるしかなかった。

もっとも、MDOnlineというものがどういうものなのかということをローカスの社内的に認知されていたかは疑問である。実は、ビジネスをどうすすめるという話は、創刊の頃は藤森さんとあれこれ話をしたけど、その後は1年ほど前だったかに、社長と軽くディスカッションしただけである。また、ある時期まではプロモーションの担当者へ配信していたが、ここ最近はローカスでは誰ひとりとしてMDOnlineを読んではいない状況だった。経理担当者にとってはちょろちょろと郵便振替口座にお金が来るなという程度に思えるくらいなのではないだろうか。私自身は解雇→廃刊というシナリオを想定するも、会社にとっては従業員を解雇するより大きな波紋が一部のコミュニティに流れるということは想定していなかったと思われる。
解雇されるのはストレスであるとか言われながらも、最近はむしろ前向きにとらえる風潮もある。だけど、結びつきは弱かったとは言え、12年半も勤めた会社であるし、サーバのrootのパスワードも知っている(笑)ほどの会社である。私に取っては解雇と心血傾けたMDOnlineの廃刊がいっしょにやってくるのである。寂しいとか口惜しいとかそんなものとは違って、いちばん近いのは「とほほ感」というところだろうか。たとえ、MDOnlineがいくらかの赤字があっても、ローカスに対しては全体的には収支がとれるように働くことができる自信はあった。だからローカスが続いてくれればと思っていたが、その枠組みには残れなかった。MDOnlineというビジネスはたたんでしまうことになったが、負け惜しみと言われようが勝てなかったわけではないことを強調したい。ロシアンルーレットの最後の引き金が引かれたのが私の番だっただけなのである…と思いたい。

∽∽∽∽∽∽∽MDOnlineは以上∽∽∽∽∽∽∽[新居雅行]∽∽∽∽∽∽∽

カテゴリ:業界動向